「我輩はニートである。職はまだない」

最近ろくなことしてないZE!
金玉集めるのもいい加減しんどくなってきたのでそろそろやめたいと思います。
先日サブカをオワタって名前で作ったらホントに終わっとるカードができました。
初段とか3段にぼこぼこにされると悲しくなります。


最近PS2やってないなぁ。スマブラしかやってない。
ファルコが糞強すぎで自分で使っててあーあって感じ。
次回作はやくやりたいです。期待していいと思うんだけど、どうでしょ。


やっと最近今の生活に飽きを感じることができ始めました。
新しい何かってやつを探して行動するのかなこういう時は。
その辺考えてみよう。


前向きに生きる。っていうのは好奇心、探究心が行動の源泉となっている。
人生をより楽しいものに!とか、充実したものに!とかいろいろあるけれど、
そうでもなければ生きることに意味を見出せない現状がある。
楽しくない人生に意味はない。苦労の上にある楽しみこそが生を実感する唯一の手段である。
苦労というものが社会貢献であるとするならば、人は常に社会という舞台の上にたっているという責任のもと、
生をまっとうしなければならない。
少しハメを外しただけで、淘汰され道を失うことになる。
責任が重い立場にいるものであればあるほどその風潮は強いものである。
メディアは規範からはずれしものを大々的に取り上げ、敵視することである一定の節度を守っている。
敵の敵は味方。そうやって民はまとめられるが、大衆の一部として利用されるだけである。
メディアを信用することで人は簡単に個性を失う。
ただ生きているだけでは奴隷のままだ。
だが、何かをしようとしても、できる範囲はすでに決められている。
絶対的な権力というものがこの世は存在しているのだ。
逮捕というものが冗談でなくなった我々は、
人類の発展の為の社会というにはもはや崩壊している昨今のシステムの下
明日のわが身の為に働かなければならないのである。


生きるという行動はツライものなのである。
自然界の生物は皆、自身を危険から守り、自身の為に食料を集め生きている。
人間もそれと同じである。といったらそれまでだろうが、
他の生物に比べると高い知能をもつといわれている人間が
同じ思いをしているのはなぜであろうか。
如何にくだらないことであろうか。
楽して生きる。そうすることに意味はあるはずだ。
堕落して退化するというのが結果として待っているなどというのは、
まだ誰も実践していないことだ。わからないことである。
そう考えると日本社会におけるNEETはある意味新人類にもっとも近い存在なのではないだろうか。
だが本当のNEETはいない。
社会の中のNEETは皆、社会からの重圧の下に、生きなければならない。
それでいて本当の自由とよべるものだろうか。
日本人は勤勉であるという。
生まれてこの方一度も外人と親しくなったことのない俺には、
他の民族がどういう観念をもってそう言っているかは不明だが、
日本人らしい勤勉さというものはなんとなく分かっているつもりだ。
日本人は言われたことはちゃんとやるが、
貪欲さが足りないがためにインドとかに負けちゃってるとかあるんじゃねっていうのはまだよくわからないからいいや。
国民がみな遊んで暮らしていたらどうなるか。
ありの巣の現象が起こるだろう。
誰かが責任を感じて働き始めるのだ。
俺がやらないで誰がやる。
俺が最初にやってやる。
俺が社会を救ってやる。
こういう正義感まるだしのやつがいるから
争いが起こるんだ。人間の場合。
皆が皆自分のために生きようとするから、
否、そう見られるからダメなんだ。
ああもう手遅れ。
人類は大きくなりすぎた。
隣の家の人間も知らないようなヤツラが
社会のために生きようなどと思えるはずがない。
戦争することでしかまとまらない国民の考え方、
それに対してつまらぬ反論しかしないクズ共。
人間は一度滅びるべきだ。
あるいは全員が不老不死にでもなれば
人は破滅の道を免れるかもしれない。


ああ、やっぱりまともに生きたくなくなった。