「現実逃避をロマンチストと呼ぶならばね。」

木内くんのコメントがうじゃんこついてる日記見たら俺も何か書きたくなった。
試験期間中ということで受験時代のような気分で書いてみようと思います。
何が言いたいかというと大学生の皆さんは試験期間中で気がたってるんですよっと。


娘殺し隠蔽の為他人の子供を殺した母親について
これなんかすごいよね。コナンレベルの浅はかな犯罪だよね。
何が浅はかって動機が。
やはり自分でも分かるくらいの悪いことをした後って気が動転するのかな。
客観的に見れば、娘が死んだ数日後にまた殺すってのはまだいいとして、
それが隣の隣の家ってのがだめだよな。
これじゃあ怪しまれて当然つったら当然だもの。
対象が川沿いの離れたとこに住んでる子だったりしたら小説ものだったろうなぁ。
それにしても捜査のかく乱が恐ろしいほど上手くいってたね。
まさか最初に見つかった子の親が犯罪者だとは普通は思わない。
たださっきも書いたけどキョドリすぎだ。
これはカレーの中にヒ素入れた事件にもあったことだ。
彼らにとって普通にしてるのが一番難しいことなのだろう。
逆にその辺を上手く出来るようになれば


子育てって難しいだろうね。
だってどうすればいいのか分からないでしょ?
生まれたばかりの知能の低い生命体を、社会のルールに適応した人間にまで育てなければならないわけ。
やれって言われて出来ますか?
まぁそこで潜在的なものが出てくる。
それは遺伝子によるもの、つまり猿が子育てする時の情報よりも
実際に自分が親から受けたものの方が圧倒的に強いだろう。
自分がやられたことをする。それ以外しようがないはずだ。精神的な問題である以上。
場合によってはそれが負の連鎖になることは目に見えている。
娘殺しの女もそんな感じだったのだろう。
親がなんかひどい境遇にあっていた。その影響はその女にも。
しかも生まれ育ちが悪いことは裁判で言い訳になる。
アホらしくね?
特別視されるんですよ。
そこまで悪いことと分かっていながら、なぜ原因となるものに対処しない。
と、調子にのったことを言いましたが良い対処法が思いつかないのでやめます。


子育てのスキルは上達しづらいという現状がある。
一人っ子だとなおさらだ。実験なしの本番な上、ほぼすべての責任が母親にある。
子供というものは無知だ。良く言えば純粋。
人間という生物が社会で生きていく上で、ものごとをイエスとノーだけで判断しきることは極めて難しい。
それを教え込むことが果たして出来るだろうか。
それは幼稚園や学校に任せることなのだろうか。
教育学部の人がんばってください)
あるいは自分たちで勝手にやれっていうことなのだろうか。
放任主義。これが一番簡単で手っ取り早い言い訳になるはずさ。
家庭に関与しない。家族という名の社会を放棄する。
一番長くいるはずの自宅で、ずっと規律のない生活をしていたら
ろくな大人にならない例があっても全くおかしくない。
だがならない人間もいる。憶測での話だけれども。
人間の頭の良し悪しが遺伝子によって決まるならば、
違う人種の赤ん坊2人を完全に同じ環境で育てた時、
二人は違う人間になるだろう。
ただそこには偶然性が伴うわけだし、
その環境を作る側も同じことを2度出来るかっていうとそうでもない。
うちの親父は遺伝子で決まると信じてました。
今の俺は自分でないものに未来を託す気持ちはさらさら無いのでどうでもいいことです。


まぁなんだ人間をアリのごとく使いたかったら、
乳幼児の時から毎日同じことをさせていれば、考えなくても生きる人間になるんじゃないかね。